甲子園球場で試合で負けた高校球児たちが涙を流しながら土を袋に入れて持って帰る姿・・・
「この風習っていつから始まったんだろう?」
と思ったことないですか?
あの姿を見るとこちらまでなんだか涙が出てきそうになりますね。その風習のルーツを探ってみました。
今回は
- 甲子園の土を持って帰るようになったのはいつからなのか
- 甲子園の土は昔とは違う?
- 甲子園の土って販売してるの?
などなどちょっとした明日役に立つかもしれない!?(笑)甲子園の土に関するへぇ~~~なトリビアをご紹介しますよ♪
甲子園の土を持って帰るようになったのはいつから?
いつも高校野球で繰り広げられるドラマは感動の嵐ですよね。
特に決勝で負けた選手が涙を流しながら甲子園の土を持ち帰っている姿はなんともいえない光景です。接戦で負けたなんて時は選手だけじゃなくテレビの前にいる人も涙が出そうになりますよね。
そんな甲子園の土を持って帰るようになったのはいつが始まりなんでしょう。ちょっと調べてみましたよ。
甲子園の土を持ち帰るようになった説は5つある!
- 1937年(第23回)の決勝で敗れたのちのジャイアンツの監督となった熊本工業の投手川上哲治選手が試合後にポケットに入れた。
- 1946年(第28回)東京高等師範附属中の監督が手ぬぐいに入れて持ち帰らせた
- 1947年(第29回)で優勝した時のエース小倉中学の福嶋一雄投手が一人で投げぬいた記念にと持ち帰った
- 1949年(第31回)で準々決勝で負けた小倉北のエース福嶋一雄選手がポケットに入れた
- 1958年(第40回)の時に沖縄の首里高校の選手が持ち帰ったものが、検疫上の理由から那覇港で海に捨てられたが、それを知ったJALのCAによって甲子園の小石が送られた
一番に持ち帰ったという記録が残っているのは1番の川上哲治選手で1937年ですね。これが一番有力とされています。
しかし、
面白いのが3番と4番。福嶋選手は優勝した時に一人で投げぬいた記念に持ち帰ったのと準々決勝で負けた時に持ち帰ったエピソード。現在は負けた選手が持ち帰ってますが、福嶋投手は優勝した時にも記念にと持ち帰ってますね。
5番の沖縄の首里高校のエピソード、まだ沖縄が日本に返還されていなかった時代で土はだめだけれど石ならよいということで小石が贈られたということで、今でも記念碑が残っているんです。
当時かなり反響があったようで、それ以来、負けた学校が土を持ち帰るというのが一般化してきたという説もあります。
でも、最初に持ち帰ったとされているジャイアンツの監督にもなった川上哲治選手やその後に持ち帰った福嶋一雄選手は自分たち以前にも持ち帰っていた選手はいたようだと話されていたとのことで、一番に持ち帰ったというのが誰なのか、はっきりしていないのが現状です。
持ち帰った土はどうしているの?
では、持ち帰った土はみんなどうしているのでしょうか。
私は勝手な憶測で持ち帰って個人的に記念として持っているのだと思い込んでいたのですが、どうやら色々あるようです。
- 自校のグラウンドに撒く
- 甲子園出場の記念としてとっておく
- お世話になった方へ配る
という感じだそうです。
持ち帰った土をグラウンドに撒いてそこで練習することで「また甲子園の土を踏むことができる」という縁起かつぎの意味が一番大きいんです。
なるほど~ですね。
甲子園の土はどこから持って来るの?
高校球児が持ち帰る甲子園の土、持ち帰り続けられたら困りますよね(汗)
甲子園の土は一体どこから持って来ているのでしょうか。それについても気になったので調べてみましたよ。
甲子園の土は、日差しの強い夏と雨の多い春で黒い土と白い砂を絶妙な配合でブレンドしているのです。
夏は日差しが強いため、白いボールが見えにくくなるため、黒い土を多めにブレンド、春は雨が降っても水はけがよくなるように砂を多めにブレンドしているのです。
黒い土と白い砂の産地について調べてみると公式HPに書かれていました。
黒い土の産地は?
- 三重県鈴鹿市
- 岡山県日本原
- 鳥取県大山
- 大分県大野郡三重町
- 鹿児島県鹿屋
などのこれらの土をその年によって使い分けてブレンドしています。
白い砂の産地は?
- 甲子園浜
- 香櫨園浜社有地
- 瀬戸内海の砂浜
- 中国福建省
これらの砂を使っているとのことです。
砂に関しては中国からも持ってこられているのですね。
春と夏でブレンドを変えているなんて深いですね~。
まとめ
今回の記事をまとめてみますね。
- 甲子園の土を持って帰るようになったのは記録上は熊本工業の投手川上哲治選手が最初
- でもそれ以前から持ち帰っていた人はいるらしい
- 一般的に持ち帰られるようになったきっかけの説は5つある
- 持ち帰った土は自校のグラウンドにまいたり、記念として保管、お世話になった方へ配ったりする
- 甲子園の土は国内各地から集められ、黒い砂と白い砂を季節によってブレンドしている
いかがでしたか?
甲子園の土を持ち帰るようになった説が5つもあるとはびっくりですね。
しかも最初に持って帰ったと判明している川上選手の以前から持ち帰っていた選手はいたというのにも驚きです。それだけ甲子園の歴史は深いということですね。
長い歴史のある高校野球、調べてみるともっと面白いことが見つかりそうですね。もしこんな面白いトリビアがあるよなんてことがあったらコメント欄から教えてくださいね♪